山形新聞 掲載
「我が家に煙りが立ち上がるワケ・・・」
「我が家に煙りが
立ち上がるワケ・・・」
漆工芸家 江口忠博さん(長井市)
「昔々、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでおりました」
これを聞くと「お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に・・・」というフレーズが頭に浮かんで来るのは私だけではないだろう。この話しの中で語られているのを現代に当てはめてみると面白い。
まず、川で洗濯などしている風景はトンとお目にかからない。だいいち「水質汚染につながるから川では洗濯をしてはいけません」となる。合成洗剤を使わずに洗濯をしている人などほとんどいないのだ。
そして「山へ柴刈りに・・・」だが、これも今となっては何のことだかわからない人が多い。「シバ」といえば「芝」以外思い浮かばない。いくらおじいさんが山のゴルフ場の芝刈りに忙しいからと言って、「柴」が暮らしから消えてしまったことは寂しい限りだ。山に行って背中に柴を背負って帰ってくる人など見たこともないし、時折目にするのは小学校の片隅で寂しそうに佇んでいる「二宮金次郎」の姿ぐらいである。
さて、近年は全国各地で森林ボランティア団体が結成されるようになった。森林整備の基本作業は、除草、枝打ち、間伐、除伐、そして「柴刈り」だ。木々の間にはびこる灌木を除去する柴刈りは、木の生長を助けると同時に作業足下の安全を確保することを目的として行われるのだが、残念ながら週末のボランティア作業では刈った柴や伐倒木を現地に放置しているのが実情である。
昔はこの刈った柴を里の家まで下ろし、燃料として利用していた。換金する薪や炭はもちろん、除伐した木も放置せず、さまざまに活用することで山の保全にも寄与していたのだ。いま伐倒木が山を荒廃させているという事実もあるのだから、それらの放置は残念だし、なんとも勿体ない。実はそういう私も森林ボランティアを主宰している一人であるから、恥ずかしながらこれは自戒をこめた言葉だし、薪ストーブを愛用している個人的な希求でもある。
我が家の越冬の準備はストーブで燃やす薪の確保から始まる。最近では石油危機や二酸化炭素排出問題によって薪ストーブを導入する家庭も多くなってし、薪屋と呼ばれる業も復活した。しかし薪の価格は石油やガスを上回っているから、幾ら環境に良いことではあっても冬期間すべて良質の薪を焚いて過ごすことは大変なことだ。
そこで、我が家の薪は近所の果樹農家の選定木や大工さんからいただく廃材などに頼ることになる。薪としては決して良質とはいえないが、それでも廃棄物として処分される運命にあった材を有効利用できるし、家族を冬の寒さから救うには十分な暖かさである。これまで多くの方々のご好意で幸いにも煙突から立ち上がる煙が途絶えたことはなかった。
一方で、森林保全作業と言いながら現地に放置してきた柴や伐倒木のことを思うと残念でならないというのが正直な思いでもある。あの二宮金次郎のように、山から柴や薪を背負ってこようかと思ったりもするが、その時間と労力を、細々ではあっても我が家の経済活動に使わなくてはならないという差し迫った現実もある。
暮らしを山に支えてもらわなくなったのは、経済スピードが自然界の遷移時間をはるかに超えてしまったからだが、ストーブの中で燃える火を眺めていると私の思考が少し変わる。家庭経済も心配だが、薪の減り具合も暮らしの重要課題となる。
「人は太古から火を守ることで命をつないできたのだなぁ」「お金がない時はなぜかみんな火のそばに集まるものだ」。そうか、お父さんが山へ柴刈りに行くことで家庭を守ることも、これからの時代では「あり」なのだ──と思ったりもする。火には心を優しく揺り戻してくれる力がある。
冬空に我が家の煙突から白い煙が立ち上がるのを見て、「いやー、贅沢な暮らしですねぇー」とおっしゃる方がいる。が、そんな時は正直にこう言うことにしている。「この煙の元ですが、実は我が家の”火の車”でして・・・」
御使用機種 ヨツールNo.8
第4回記事コンクール入賞作品
論説委員長賞
「暖炉が語ってくれること」
山形県川西町一中三年 渋谷詩穂子さん
私の家では、二年前から冬に暖炉を使っている。台所、ダイニングキッチン、居間、勉強部屋、寝室、脱衣室の七部屋は、冬の暖炉一つで暖めることができる。
なぜ、ヒーターではなく暖炉で生活しようと思ったのか、父に聞いてみた。まず、一番に、夢があるからだという。暖炉には薪
(まき)が必要だ。薪になる木を伐
(き)り、運び、乾燥させ、割って薪にする。そしてようやく燃やすことができる。昭和三十年代前半、父の家にはまだ囲炉裏
(いろり)があった。父は生まれてからずっと囲炉裏の火を見て育ち、結婚してからも忘れることはできなかったそうです。暖炉には父の夢がこめられているのだ。
暖炉になってから、いろいろなことを考えるようになった。薪にする一本一本の木を伐ったり、割ったりするのは父である。母と私は、乾燥した薪を玄関に積む。それを私と妹で暖炉まで運ぶ。ヒーターは、ボタンを押せばすぐ暖められるが、わが家では冬を越すために、ものすごい体力と時間を使わなければならない。だからこそ逆に、普段はあまり感じない、木のありがたさやパチ、パチと燃える火の暖かさを感じることができる。
もう一つ、暖炉に感謝しなければならないことがある。わが家では、暖炉のおかげで、家族の会話が途切れることがないということである。いつのまにかその回りには家族の輪ができて、そこで自分から話をしたり、両親からも話を聞くようになった。暖かく冬を過ごそうという一心で、手間をかけて薪を用意したり、家族で協力して仕事する。大変なことではあるが、それ以上に大切なことを得ているような気がする。
知らず知らず木や自然を愛するようにもなった。今は、お金を出せば簡単にものが手に入るし、便利な生活ができる。でも反対に、もっと大切なことを失っているのではないだろうか。わが家では、冬は夏よりも暖かい生活を送っている。
御使用機種 モルソー1600
新庄朝日新聞 平成16年2月29日掲載
「冬は大好き」
山形県新庄市 海藤剛 さん
私は冬が大好きです。スキーも昔こそしたものの、現在は殆どしません。ボードもしません。別に特に雪かきが好きでもありません。では、なぜ冬が好きなのでしょう? それは、私たち家族が薪ストーブを使用しているからであります。薪ストーブとは、その名の通り薪を燃料にしたストーブです。今年で二シーズン目ですが、薪ストーブにして本当に良かったと思っています。それは、「化石燃料に頼らないから」でも「格好良いから」でもありません。答えは未だに一つに絞れていませんが、最大の答えは最後の方で答えたいと思います。
さて、薪ストーブを導入するきっかけはというと、叔父(父の兄)の影響でした。山をこよなく愛する叔父は、退職をきっかけに薪ストーブを導入したのでありました。その家に遊びに行き、その暖かさや火を見ることによって癒されること、火を扱うことに対しての歓びを知り、将来機会があれば薪ストーブを導入しようと思っていました。
そこで、叔父に相談してみると、奥さんの了解がないと困難だということでした。理由は、「家が木屑で汚れる」「重い」「薪割りなどが大変」。妻に薪ストーブの話を相談してみると、当然のことながら答えは「No」。理由は、実際家にいるのは私(妻)で大変だ。もっともな理由である。その時妻と知り合ってから十数年。私の性格を知り尽くしていると言っても過言ではない方の意見である。結局妻は、私が家のために休日に山に木を切るに入って、薪を割ってそれを乾燥してという行程を処理できないと思っていたのでした。
こうなれば、引き下がることは出来ません。まずは薪ストーブの良さを教えるために、薪ストーブの入っている喫茶店を見つけては連れて行き、伯父の家に泊まりに行って話を聞き、その効果を実感しました。あとは、年間の燃料代が安くなること(注・・入手方法によっては高い場合もあります)や「俺、薪割りがんばる!」の連呼によってようやく導入に至ったのであります。
いざ導入してみると、そこは奥深い世界でした。私は昨年まで斧すら握ったことはありませんでした。薪に使う広葉樹のナラやブナは固く、節などがあると簡単には割れません。そこは言い出しっぺの意地で、伯父にかなりお世話になりながらも何とか今年の冬は自前で準備できました。薪は切ったらすぐに割るのが常識で、時間が経つと割れにくくなる。これも導入まで知らなかったことです。
結局、読者の皆様に何を言いたいのかと言いますと、「不便を楽しもう」とかいう悠長なことを言いたいのではなく、「山を維持するためには、木を切る必要がある」とか「化石燃料は控える」とかいう高尚なことを言いたいのでもなく(もちろんそれも考えていますが)、お父さんにしか出来ない仕事によって「父権の復権!」が少し出来たのと、都会では出来ない生活によってこの地域(新庄最上地域)に生きる価値を少しでも楽しめたということでした。これが私の薪ストーブを導入して本当に良かったと感じる答えでした。
御使用機種 ヨツールF500